「本当に宜しいのですか、神奈様?」
「構わぬ。余の父君は晴明殿の先祖でもあるのだろう? ならばこの人形は晴明殿の手元に置いておくべきだ」
文月一八日。柳也殿、神奈様両名、それに私は神奈様の生まれ故郷であるみちのく日高見の地へと旅立つことととなりました。
旅立ちに際し、神奈様は自らがお繕いになられし人形を晴明殿に託すことを決めたのでした。
「渡すものと言えば、これを返しておかねばならなかったな」
そう仰られ、柳也殿は腰に掲げし草薙の太刀を晴明殿にお渡し致しました。
「元々この太刀は我が自らが帝になる為に盗み出したものだ。故にこの太刀を持ったままでは謀反の意志ありと取られても仕方がないからな」
「分かりました。神器は然るべき所に戻しておきましょう。殿下、道中どうかご無事で」
「案ずるな。我と対峙出来る人間などそういない。都の治安は任せたぞ、頼光殿。何せ都は我が生まれ育った場所なのだからな」
「承りました、殿下。この頼光、源氏の名にかけ都の治安維持に尽力致しましょう!」
柳也殿は、返す言葉で頼光殿に都の治安維持に努められるよう仰りました。みちのくが神奈様にとって帰るべき故郷であるように、柳也殿にとってはこの都こそが故郷なのです。
骨を埋めるなら生まれ育ちし我が故郷で。それが多くの人が願うことでしょう。柳也殿は神奈様の幸せの為に、故郷を頼光殿等に任せ旅立つのでした。
「裏葉殿……いや、もう何も言うまい……。柳兄者、達者で暮らせよ。機会があれば訪ねて行ってやるぜ」
「ふっ、それまで少しでも腕を上げておくのだな、頼信」
「へっ、言われるまでもない!」
頼信殿は私に何かを仰られたいご様子でしたが、言葉を飲み、柳也殿の旅路を送る激励の言葉に変えたのでした。
「晴明殿に、頼光殿に、頼信殿。皆世話になった。余はこれから柳也殿、裏葉殿と共に我が故郷みちのくへと帰郷する。どうか皆、幸せに……」
神奈様は深々とお辞儀をしながらそう別れの挨拶を仰られました。そして私達はみちのくへと向け旅立つのでした。
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巻十五「望月の永訣」
「このままあの鬼めを見逃せば、それは藤原家、いや、朝廷の権威を揺るがすこととなる! 何としてでも討ち取らねばならぬ!!」
時同じくして、宮中では柳也殿の処遇に関して激論が交わされていました。半ば柳也殿に脅迫され祇園際を開かされた関白殿は怒りをあらわにし、柳也殿討伐を激しく訴えたのでした。
「畏れ多くも兄君。討ち取ることには賛成だが、誰が討ち取るのだ? 都の兵共は誰も彼も赤い鬼を恐れ、進んで討伐には参加せぬと思うぞ?」
「う……ぬぬ……それは……」
内大臣殿のお言葉に、関白殿は言葉を詰まらせてしまいました。確かに、柳也殿が関白殿の目の前でお力をご披露為さられた時、近衛兵共は我先にへと逃げ出しました。
それに、検非違使の者共は柳也殿の部下だった方々ばかりです。彼等は誰よりも柳也殿のお力を熟知し、また慕っていた上官と言うこともあり、討伐には決して賛同されないでしょう。
元々柳也殿が検非違使になられていたのは、ご自分が帝に即位為される際、自分に立ち向かう人間を作らない為でしたが、それはこのような所で抑止力として働くのでした。
「討伐などと未だ夢現を語っているとは、滑稽ですな」
「何だと、道長!」
大納言殿の痛烈な一言に、関白殿はお怒りながら食いかかるのでした。
「道長! お前は広平殿下が赤い鬼として月讀様をお迎えに行った時、独断で刺客を向けたそうだな。そこまでしてあの鬼めを討ち取ろうとしていたお前が、儂を滑稽と笑うか!」
「あの時はあの時です。過日は広平殿下が謀反を起こす恐れがあったからこそ刺客を向けたまでです。
されど、今回は月讀様と共にみちのくへと赴くと仰っているのです。そのようなお方を討伐する大儀が何処にあるのです?」
「このままあの鬼めを野放しにしておけば、いつかまた朝廷に反旗を翻すかもしれぬのだぞ!?」
「戯言を。もし広平殿下に謀反のご意志があるならば、あの場で兄君の首を取っていた筈です。今この場に兄君が生きておいでなのが、広平殿下に謀反のご意志がない何よりの証拠になるのでは?」
「ぐ……ぬぬ……」
感情をあらわに大納言殿に食って掛かりたい関白殿でしたが、大納言殿の正論に反論するお言葉が見付からず、煮え切らぬ苦汁を吐き出さず口内で押し留めているのでした。
「私は兄君とは全く異なる案を持っている。広平殿下を討伐するのではなく、みちのくの帝と言うべきものに値する位を、朝廷の名で授けるのです!」
「な、何だとっ!? あの鬼めに帝と同等の位を授けるというのか! そんな提案などのめるものか!!」
「そうだ! あの鬼めは将門、純友以来の逆賊! そのような逆賊に位など与えられるものか!」
大納言殿の提案に、関白殿も内大臣殿も激しく反論為さられるのでした。
「両兄君ともよく考えて頂きたい。広平殿下は紛れもない皇族の身。その皇族の者がみちのくに君臨すれば、みちのくは完全に朝廷の支配下に置かれたも同然。
桓武帝以来度重なる遠征を繰り返し幾度か蝦夷共を屈服させることは叶ったものの、未だみちのくを完全な朝廷の支配下に置いた訳ではない。
今まで多額の軍事費を注ぎ込み、それでも支配下にすることが叶わなかったみちのくを、僅かお一人の親王のお力で手に入るのですよ。数千の兵を用いても成し遂げられなかったことを、たった一人の力で成し遂げられるのです。
第一、広平殿下は将門の如く自ら「新皇」とお名乗りになるのではなく、あくまで朝廷が推薦する形で位を授けるのです。皇族の者にみちのくの統治を任せるのに何の疑問がありましょう?」
「ぐ……、だがそれではある意味においての自治を認めることになる。そのようなこと出来る訳が……」
「多少の自治を認めるのは構わないでしょう。労せずしてみちのくを完全な統治下に置けるのなら、自治権など安いものです」
「自治か、下らんな。誰も彼も大した策を練られぬとは。そろそろ私に関白の位を譲られたらどうです?」
その時、関白殿の実子である伊周殿が皮肉めいた一言を申し上げました。
「ふっ、そこまで言うのなら伊周、お前には私の提案を超える良案があるのか?」
「当然。簡単な話ですよ。毒には毒を持って征す。即ち、平家にあの鬼めを討ち取らせるのです」
「なっ、平家だと!?」
「あの逆賊の手を借りるというのか!?」
伊周殿の提案は、大納言殿の提案とはまた異なる波紋を呼び起こしました。
「見事鬼退治をすれば、一族の名誉を挽回させる。そう伝達すれば必死になり鬼討伐に励むでしょうよ」
「愚にもつかぬ提案だ。真の逆賊の力を借り、多くの血を流しても捕えられぬであろう者を、敢えて討とうというのか?」
大納言殿は会議に臨まれる前、頼光殿から柳也殿の力量を詳しく教えられていたのでした。予め柳也殿がどのようなお力を持っているか少なからず知っていたことも重なり、大納言殿はご自分が考える限り一番被害が被ることのない案を持ち出していたのでした。
「いくら鬼と言えど、数千人の兵で掛かれば討ち取ることなど容易いでしょう」
「然るに、その殆どの兵が討死するであろうな。そのような代償を払ってまで討ち取るお方でもないだろう」
「逆賊に組する吾妻の兵共が何百人、何千人死のうが、朝廷にはまったく影響がない。所詮平家は我等の都合良く動いてくれる隷従の捨て駒に過ぎぬ。我が案は赤い鬼を討ち取れるだけではなく、名誉挽回させる平家の力を削ぐ事も叶う一石二鳥の良案! 道長の愚案など我が良案の足元にも及ばぬわ!」
「自ら手を汚すことなく漁夫の利を狙う愚策など、私の案に比べれば塵以下だな」
あくまで自分の意見を主張し続ける大納言殿と伊周殿。元々あまり仲の宜しくなかったお二人は、この場においても互いに妥協点を見出せず、互いに自分の提案をこれでもかと主張し、相手の提案を尽く否定為さられるのでした。
「見事な策だ。流石は儂の息子。伊周、お前の策を採用するとしよう」
大納言殿と伊周殿の果て無き議論は、関白殿の一言により一応の決着を見ました。関白殿が伊周殿のご提案に賛同為さったのは、ご自分の実子ということもありましたが、何より柳也殿を憎み、官位を与えることなど到底許せることではなかったからなのでした。
「愚かな。例えお前の愚策が成功しようとも、我等が一族の繁栄には少なからず影を落とすであろうよ」
「いつまでも吠えてろ、道長。来るべきこの功績を用いて俺は関白となる。お前如きに関白の位はやらんぞ!」
この後朝廷から正式に柳也殿追討の命が下され、その命は一足早く船を伝い、吾妻の平家一門の元へ伝えられたのでした。
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海と言うものを直に見てみたい。そう仰られる神奈様のご懇願を聞き入れ、私達は東海道を東へ、東へと歩きました。そして出立から一ヶ月近くが経過せし葉月十五日、私達は吾妻の地へ足を踏み入れたのでした。
「のう、柳也殿。この海の先には何があると思う?」
誰彼時海を見つめながら、神奈様はそうお呟きになりました。
「この東の海の先か?」
「そうだ。西の海の先には宋、高麗、神聖羅馬、ビザンツ、イングランド、フランスなど、数多の国が広がっている」
「宋、高麗は分かるが、他は知らぬ。そのような国が真にあるのか?」
「シルクロードを遥か西方に進み、イスラムの土地を渡った先にそれらの国々がある」
「イスラムとはなんだ?」
「嘗てササン朝ペルシャという国があった地だ。今はイスラムという国になっている」
「ペルシャか。確か正倉院に保管されている渡来品のいくつかがその国から伝わったという話は聞いたことがある」
神奈様の口から発せられる聞いたこともない国々の名前。恐らくこの国に住まう人間は、宋、高麗程度の名を辛うじて知っている位でしょう。
普通の人では知らぬ多くの国々の名を知っている。そのような面にも、神奈様が記憶を引き継ぎし者であらせられる証左が垣間見えています。
「然るに、どうやってそのような国の名を知ったのだ? 神奈の母君がそれらの国を訪れたわけではあるまい」
「記憶を辿る限り、母君自らがそれらの国を訪れたのではなく、大陸に渡った蝦夷や高野の僧が、それらの国々から宋へ旅立って来た人々の話を聞き、それら大陸に渡った者の話を、母君が記憶したのだ。故に、それらの国があるということは分かっていても、詳しくは知らぬ」
「そうか」
「然るに、大陸ではなく、この東の海に旅立った者はおらぬ。故にこの海の先に何があるかは余にも分からぬ」
「東の海の先か。この広大な海の先に何があるか考えたこともなかったな……」
確かに、日出ずる東の海の先に何があるかなど、考えたこともありませんでした。誰もいったことのない世界ならば、もしかしたならその先に天国や地獄があるのかもしれません。
「この大地が星であり球体を為しているというのは他の星々を観察することから断言出来る。されど、この海の先に何があるのかは分からぬ。東を辿れば羅馬、イスラムの土地に辿り着くのか。それとも見知らぬ大地が広がっているのか……」
この星のありとあらゆることを知っている。生前の神奈様の母君はそう仰られていましたが、今の神奈様の発言を聞く限りそれは多少誇張されたご発言だったのでしょう。
「行ってみるか? この東の海の先に。お前の故郷へ帰り数年経った日にでも」
「そうだな。いつかこの海の先に。柳也殿と二人で……」
それは故郷に帰ることが叶うと思っていたからこそ、神奈様が抱けた夢なのでしょう。この時誰しもが神奈様は故郷の地を踏めると思っていたからこそ……。
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辺りはすっかりと闇が支配する世界へとなりました。今宵は葉月十五夜。一年で最も月が美しいとされる中秋の名月の日でございます。
「それにしても、美しい月だ」
その中秋の名月を眺め、柳也殿は素直な感想を述べました。数多光る星々の輝きを打ち消すかの如く照り輝く中秋の望月は、どのような美辞麗句でも表現し切れぬ位、美しいものでした。
「月か。東の海の先にも行ってみたいが、やはり一度入ってみたいものだな。然るに、この羽を持ってしてでも大気の壁を突き破ることは叶わぬ。流石に月に行くのは不可能か……」
「そういうこともあるまい。確かに羽を持ってしてでも大気を超えることは叶わぬ。然るに人の創造力は無限大! いつしか翼人とは異なる術で、人が月へと旅立つ日が来るかも知れぬ」
「人の創造力は無限大か、確かにそうかもしれぬな。何年先になるかは分からぬが、そのような日が来れば良いものだな」
あの美しく光り輝く月に旅立てる日が来る。そのような日が来るとは、到底想像がつきませぬ。されど、真にそのような日が来るならば、夢のようでございます。
「時に神奈。毎晩夜な夜な何を縫っておるのだ?」
京の都を旅立ってから今日に至るまで、神奈様は毎晩何かをお繕いになられているご様子でした。
「秘密だ」
「またそれか。いい加減そろそろ教えてもらえぬか?」
事ある度に柳也殿は、何を繕っているか問い掛けていたのでしたが、その度に神奈様は黙秘を続けるのでした。
「分かった。そろそろ教えても良いな。実は人形を縫っておるのだ」
「人形?」
「過日繕いし父君の人形が、あまり良い出来ではなかったからな。もう少し作りの良い人形を縫えるようになりたいのだ」
「精進なことだ。で、何の人形を繕っておるのだ?」
「それは秘密だ。完成したら柳也殿にも見せる。だからそれまでは教えてはやらぬ」
「致し方ない。完成する日を楽しみに待っているとしよう」
何を繕っているか分かれば今は良いと思ったのでしょうか、柳也殿は何の人形をお繕いになられているかまでは言及致しませんでした。
神奈様は語りませんでしたが、私は大体想像が付いていました。恐らく神奈様はご自分が最も思っていらっしゃる方の人形をお繕い為さっていられるのでしょう。そう、兄として慕いし君の人形を……。
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「ふっ、こそこそ歩いていないで姿を現したらどうだ」
今宵の寝床を探そうと平原を歩いている中、柳也殿が突然立ち止まり、周囲に声を張り上げたのでした。
「気付いていたか。流石は朝廷に謀反を企てた逆賊か」
柳也殿の声に呼応するかの如く、私達を取り囲むかの如く数多の兵共が姿を現しました。
「千、いや二千は下らんな。どこの者だ! 名を名乗れ!!」
「我は吾妻が兵、平忠常! 我等が一門の名誉挽回の為、逆賊柳也の首を取る!」
「平、あの将門の子孫か。成程、確かにこの吾妻の地まで我の名は轟いておらぬだろうな。誰が考えたのかは分からぬが、なかなか良い策だ」
周囲を完全に囲まれているのにも関わらず、柳也殿は至って冷静でした。
「見た所、元服を終えたばかりの若造だな。その年で一族の汚名を返上をしようとは立派なものだ。然るに、もう少し世間というものを知るべきだな」
「黙れ! この状況から逃れられると思うな! 全軍、一斉射撃!!」
忠常殿の一声により、私達に向かい一斉に矢が放たれました。
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄」
その矢を柳也殿は太刀の一振りで全て斬り払ったのでした。
「なっ、何だ! 一体何が起きたのだ!?」
あまりに刹那の出来事ゆえ、忠常殿はただただ困惑するばかりでした。
「矢など我には通じぬ。これに凝り撤退するならば、若さ故の過ちとして見逃してやろう。早々に立ち去るのだな」
「ひるむな! 射て! 射て!」
柳也殿のご忠告を無視して、忠常殿は再び兵共に命じ矢を放ったのでした。
「……」
刹那、神奈様が両手をお広げになりました。すると、私達に向かっていた矢は徐々に失速し、地面に落ちたのでした。
「神奈!」
「先程の一斉射撃で、弓の軌道は覚えた。軌道が分かれば弓のスピードを殺すのも容易い」
「物の怪だ! 人の形をした物の怪だ! うわぁぁぁぁぁ〜〜!!」
柳也殿と神奈様の行いに兵共は驚き、悲鳴をあげながら逃げ出すのでした。
「ええい、勝手に撤退するな! 一族の存亡が掛かっておるのだぞ! 何としてでも討ち取れ!!」
そう兵共等に怒鳴りかける忠常殿でしたが、その声は空しく響き渡るだけで、兵共は我先にと逃げ出すばかりでした。
「兵も我等を恐れて逃げ出したぞ。お主もそろそろ撤退したらどうだ?」
「逃げ出してたまるものか! 我等が偉大なる先祖将門よ! 我に力を!!」
ゴゴゴゴゴゴゴ……
忠常殿は藁をもすがる思いで将門の名を叫んだのでしょう。すると、その声に呼応するかの如く周囲に得体の知れぬ空気が流れ出したのでした。
『ニオウ、ニオウゾ……皇族ノニオイ……我ガ積年ノ恨ミ、今コソ晴ラス!!』
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「くっ、何だこの気配は!?」
「何という負の念だ、これが将門の怨念なのか!?」
言い知れぬ気配に、お二方共気圧されているようでした。神奈様の仰られる限り、今私達の目の前に現れし者は、かの平将門の怨霊なのでしょう。
シュバッ!
「ぐっ、あぐがっ!?」
刹那、将門の怨霊が私達に近付いて来たかと思えば、突如として柳也殿が苦しみ出しました。
『我ガ肉体既ニナクトモ、コノ身体ヲ借リレバ……』
「ぐうっ! お主如きに乗っ取られぬはせぬ! あっぐぐぐ……!」
ご自分のお身体に取り憑こうとしている将門の怨霊を、柳也殿は必死に放出させようと為さられました。
『我ガ積年ノ恨ミの深サヲ知レ!」
「ぐわわ〜〜!!」
されど、将門の怨霊は余りに強く、柳也殿のお力では振り払うことが叶いませんでした。
「おおっ! 我等が先祖将門様が助けに来て下さった! 今だ、今こそ奴を射止める好機だ!」
柳也殿が将門の怨霊と闘っている隙をつき、三度激しい矢の雨が降り注ぎました。
「させぬ! 矢よ! 人の刻よ! 止まれ!!」
柳也殿を助けるべく、神奈様は降りかかる矢を射る人の刻諸共お止めになられたのでした。
「柳也殿、今助ける! 彷徨せし御霊よ! その想い大地へと残さず大気へと旅立て! 無魂大氣行!!」
神奈様は周囲を取り囲む兵の刻を止めつつ、将門の怨霊を柳也殿から突き放そうと、強き口調で祝詞を唱えるのでした。
『キカヌ! ソノヨウナマジナイハキカヌ!!』
「ぐうっ!」
されど、神奈様の渾身の祝詞は将門の怨霊には通じず、柳也殿は苦しみ続けるのでした。
「そんなっ……!? 将門の負の念は余の柳也殿を助けたい想いより強いというのか……。いや、そんなことあってはならぬ! 憎しみが愛に勝ることなどあってはならぬのだ!!」
自分の柳也殿を想い慕う気持ちはどんな怨念にも負けない。その強き想いと共に、神奈様は最後の祝詞をお唱えになられるのでした……。
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「悪しき心を残せし御霊よ、我が身体に集え! 混魂我身!!」
柳也殿の身体から引き離せぬなら、自分の身体に無理矢理にでも移すまで。そうお思いになられたのか、神奈様はご自分のお身体に将門の怨霊を取り憑かせたのでした。
「神奈、何をしたんだ!?」
「柳也殿、良かった正気に戻ったのだな……」
「正気になったではない! 何をしたと言うのだ!?」
「案ずるな、柳也殿……。今すぐこの怨霊を大気に……うぬぅっ!?」
『小娘ガァァァァァ!!』
「うぐっ、あああーーっ!!」
何とかご自分のお身体に将門の怨霊を取り憑かせることには成功したものの、やはり将門の負の念は強く、神奈様には抑え切れぬご様子でした。
「むっ!? 一体何が起きたのだ。いつのまにかあの男ではなく、童女の方が苦しんでいる……」
将門の怨霊を抱えたままでは人の刻を止め続けることも叶わず、忠常殿等の刻は動き出しました。
「いや、そのようなことはどうでもいい、射て! 射て!」
状況を掴み切れていない忠常殿でしたが、構わず矢を放とうとしました。
シュッ、チャッ!
矢を放とうとする忠常殿の元へ柳也殿は目にも止まらぬ早さで動き出し、その喉元へ太刀を押し付けるのでした。
「放ってみろ、矢を射れるなら射てみろ! その刹那、お前の首は飛ぶ!」
「ひっ、い、いつの間に!?」
「さあ! 死んで矢を放つか、生きて矢を放たぬか、選べ!!」
「ひぃぃぃ〜〜!! 止めっ! 止めぇぇぇぇぇいいいぃぃぃ!!」
柳也殿に完全に気圧され、忠常殿は弓を放つのを止める命を叫んだのでした。
『ハナセ、ハナセェェェェ!!』
「放さぬ! 柳也殿は、愛しき兄君はお主如きに渡さぬっ!!」
「神奈、今助ける!」
忠常殿に矢を放たせるのを止めさせ、柳也殿は急いで神奈様の元へ駆けつけようとしたのでした。
「来るな、柳也殿! 来れば再び将門の怨霊は柳也殿に取り憑こうとする。来るでない兄君!!」
「!? ならば、ならばどうすれば良いというのだ!!」
「将門の怨霊は最早余では抑え切れぬ……。だから、まだ抑え切れている内にこの怨念を余自ら大気へと連れて行く……!」
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「な、何を言っているのだ神奈……」
「すまぬ、柳也殿。お主と共にみちのくへは行けそうにない……」
「そのようなことを言うではない! 神奈、止めるんだ!」
「ここで止めれば将門の怨霊は柳也殿に完全に取り憑いてしまうかもしれぬ。余の愛する兄君をこのような者には渡さぬ……」
そう仰られますと、神奈様は衣を脱ぎ出し、白き羽を広げ始めました。そして、静かに、静かに大気へと上り始めるのでした……。
「行くな、行くな、神奈!」
「案ずるな。この怨霊を大気へ還したら再び大地へと降り立つ。だからその時までさようなら、愛しき兄君、柳也殿……」
「さようならなどと、そのような別れの言葉を言うなぁぁぁぁぁ〜〜かんなぁぁぁぁぁぁ〜〜!!」
柳也殿の懇願の叫びも空しく、神奈様は徐々に、徐々に大地から足を放して行くのでした。
「裏葉殿、そなたに頼みがある……。余が再び大地へと降りるまで柳也殿を頼んだぞ……。そなたしか柳也殿を任せられる女性はおらぬのだ……」
「神奈様! そんな……」
「幼き時柳也殿に助けられたその時から今の今に至るまでずっと柳也殿を想い続けていたのであろう? 柳也殿を想っているからこそ、ここまで付いて来たのであろう?
そんな裏葉殿だからこそ、余は安心して兄君を任せられるのだ……」
「そんな、そんなっ……」
私は今まで神奈様を嫉妬していました。自分がずっと想い続けていた柳也殿を奪った女として。されど、神奈様はそんな私に柳也殿を任せると仰るのです。自分に対し嫉妬心を抱いていた私に対して……!
「神奈様、行ってはなりませぬ! 貴方こそ、貴方こそ柳也殿のお側にいるべきなのです!!」
嗚呼、もし私に神奈様と同等の力があれば、私が神奈様の代わりに将門の怨霊を大気に還せるものを!
されど、現実の私は何もすることが出来ない無力な存在……。ただこうして神奈様が大気へ旅立つのを見送ることしか叶わないのです……。
「神奈! 我は待ち続ける! お前が再び地上に降り立つのを! お前が生まれた地で待ち続ける!
だから、だから早く地上に戻って来い! 例え百年後になろうと千年後になろうと我は待ち続ける!! 約束だ、神奈!」
「うむ……約束する、柳也殿……。余は必ず地上に……その時まで……さようなら……」
「神奈ぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああ〜〜〜〜!!」
まるで月へと旅立つが如く、神奈様は大気の彼方へと飛び去って行くのでした……。
「皇祖神天照よ、答えよ! これは報いなのか? 帝にならんと策謀し人を殺め欺いて来た報いなのか?
これが因果の応報ならば、何故神奈が行かねばならぬのだ!? 何故我が制裁を受けるのではなく、神奈が受けねばならぬのだ!?
かんな、かんな! 神奈!! 神奈あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜!!」
柳也殿の悲痛な咆哮は、空しく望月の夜空に響き渡るのでした。
正暦五年葉月十五夜。愛しき君を護らんが為、最後の翼人は遥かな大気へと旅立って行くのでした。再び地上に戻って来るという約束を掲げて……。
…巻十五完
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※後書き
前回が2ヶ月間が空いたのに対し、今回は2週間位しか間が空きませんでした。やはり終盤が近くなるとモチベーションが高まりますね。
さて、今回は原作とは違う理由で神奈が大気へと旅立ちましたが、ネタ自体は随分前から考えていました。柳也のスペックが桁違いなので、苦戦を強いらせるには怨霊を出すしかないなと。強力過ぎる怨霊は神奈にも抑え切れないというのは以前描写しましたし。抑え切れないから、抑え切れる内に自らの身体に怨霊を宿したまま大気へ旅立つという。
ちなみに、神奈が大気へと旅立った場所は現在のどの辺りかと言いますと、設定では日本の首相が8月15日に参拝しようとすると中韓が遺憾の意を示す神社がある場所です(笑)。何気に「みちのくKanon」の第壱話で祐一が靖国参拝したのは意味があるのですよ。
そしてこの神奈が大気へと旅立った日が、旧暦とはいえ8月15日。8月15日に靖国神社が建つ場所で大気へと旅立つ。私的には最高のシチュエーションだと思っております(笑)。
さて、次回はいよいよ最終回です。連載開始から2年以上が経ちましたが、ようやくゴールが見えて来そうです。モチベーションを維持しつつ頑張って書き上げたいものです。
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